布袋が蹴鞠をしてます。片方に福禄寿が落ちて来る鞠を待ち構えている、サッカーでもしている禅画には

布袋好ひ機嫌で
鞠をける所

福禄寿おりしき
暮一 暮一(ボイボイ鞠の音

正月七福神の二人は仲が良いので望む処に鞠を蹴り返す。これで布袋が不機嫌ならこうは行くまい。そこで二人の蹴鞠は仲が良くなる蹴鞠か、悪くなるための蹴鞠か。国と国と間ではどうか?人と人との言葉ではどうか?この鞠を
どう蹴り返したら一番良いか、良い鞠を期待しないでいた方がいい、期待するから期待外れしる。布袋の様に何時でも良い機嫌で相手に良い鞠を蹴り返してみようと心がけてみよと、白隠さん。

            




うなぎをつかむ男 禅画

こと歌をやりおつたな
ま一返よふでみい

去年のけふ うなぎと共に
登りしが
今が今がまで 登りこそすれ
両隙なく侘るひ 御免御免

あれあれ
上るは上るは

大約はここの歌には何と書いてあるのだと人びとは聞くが「まあ、一どよんで見なさい」と白隠さんが言う
「こぞのけふ鰻と共に登りしが 今が今まで登りこそすれ 両手ヒマなくダるひ
御免御免」 鰻を両手でつかんで走るっていく男を、人々が指先し「あれあれ、上がるは上がるは」と騒いでいる。男は鰻をつかむがどうすることもできない、人々は鰻と言う欲を追いかけている。こいつを放さないとどうにもならない。この鰻さえ離してしまえば、手も心も楽になる、思い切って離してしまわないと、とんでもない事になりますぞ。お前さん考えてみよう、あんまりこの禅画と少しも違わないと白隠さんは手厳しい。

            




禅画には月夜の芋洗い

賊を
とらへて
縄や
月の
いも

少焉月出於東山之上


絵左上に「シバラクシテ月東山ノ上二出ズ」は蘇東ばの詩。十五夜のお供え物の芋をまだ洗っている。「ばぁさんもう月が出てしまったよ」と子どもがさけぶ。
「賊をとらへて縄や月の芋」これではどうにもならない。禅堂では大死一番一度死ね。と言うが、なかなかその用心が出来ない、土壇場であわててもだめだ、明日死んでもいい様に心がけは出来るか?白隠さんは尋ねる。
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好きもいや、

嫌いもいや 嫌も嫌と

ただ茶を飲んで,

寝たり 起きたり

隠居してこんな世界を夢見て見たが、そうは為らないのが世の中。随処に主となれば立処皆真とはなかなか肩のこるものらしい。
今日は整形外科に行って、ゆっくりと一服、


            




禅画にはロウソク台が描いてある。漢詩で
燭は剪るに随って

輝きを増し

心は向うに随って明を隠す

と。ロウソクは芯をホッテおくと暗くなってゆく、時たま芯を切ってやるとパッと明るくなる、人の心も好き放題にしてますとだんだんと暗くなっていく。たまには自分で芯を切って見なおしなさいと白隠さんはお世話する。ロウソクに見たてて、好き放題にしないで、たまには自分を一休みしては
迷いを退散しましょうとするなら、先ずは自分の心に勝て、自分の心に勝てれば迷いも退散しましょう。


            




禅画は布袋さんが描いてある。画題は「隻手の声」白隠の出された公案に隻手の音を聞くと言う有名な問答がある。両手なら、バシと片手での音が聞こえるかな?白隠さんの画賛は

ふきと
言うも
草の名

「ふき」は蕗と富貴をかけている、白隠禅師著に
山家の富貴は銀千樹
漁夫の風流は玉一蓑

これは名利を捨て去り素朴な暮らしをする山が家の生活、漁夫の生活には心の安らぎを感じる。この風流の中にこそ真実がある様な暮らしがある。と
片手の音を聞いてみよう。
今の世、明日の世がわかる、本当がわかるぞ。と白隠さんが布袋さんを描いた


            




禅画には両手耳をふさぐ猿

聞か猿。画賛には

きかざも
隻手は
あげよ
郭公

前回の隻手の声に続く、この声には音も姿も無い。
理屈が尽き知覚が尽きたところに隻手の声は聞こえてくるのです、その時新たな生命が其処に誕生する。
この猿手を上げれば聞こえるのに、せめて片手だけでもあげてみなさいよ。人の話しも聞くもんだ、聞く耳持たんなど言わないで、片手だけでも上げたらと、白隠さんは世の中には聞かぬ猿が多いと、この声が聞こえぬ者は何処も彼処も暗黒の世界、これが聞こえれば
三途の地獄も針の山も皆消え伏せて、当所即ち蓮華国になるのに、と説いている。


            




禅画にはサギが描いてある。 五位鷺

何やつだ
人のせなかへ
のぼりおつて
どぜう骨も
たまらなひぞ

ごひさぎまし

◎_◎ どぜう骨とは土性骨
ごひさぎましは五位鷺

土性骨がいくら強いからと言っても、大きな物を載せていては堪らない。ドジョウは土性骨が自慢で精一杯頑張るのですが、どんなに力んでも、結局は五位鷺には勝てはしないのです。
人と言うもの地位や金などいくら掛けて頑張たとしても、悟りの眼から見たら、そんなものは屁の突っ張りにもならない。
科学万能だと言っても、ドジョウ骨は一層痛むだけでいろいろと其処に矛盾が出てしまったよね。と!
白隠さんは人の心をこの禅画から読みとって見たらどうだろうか?この教訓をご自分の世界に活かしてはどうだろうか?とこの禅画は言うのです。


            





禅画には花瓶が描いてある

慎の
こころの
はなを
池の坊

との画賛。
お花の家元である池の坊は今もある。ここでは、池の坊と活けるという言葉を掛けている。ではこの花瓶の中に、もし花を活けるならあなたの慎みの花を活けてご覧になってください。
それはただのはなではありませんよ。あなたの心の花を活けなさい。喜びの花を活けるのです。
悲しいときは、それは悲しみの花を活ける事になるかもしれない、それでも心の花を活けるのです。
この様に活けてみてはどうだろうかと白隠禅師は言っておられる。
この絵を見たらどうして花が活けて無いのだらうか。
ここが白隠さんの禅画であり、世界でもある。
雨あられ 雪や氷を
そのままに
とかねど同じ
谷河の水

ではいったい、何とあなたの心の花をこの花瓶に活ける事になるか?
楽しみな事であります。


            



禅画にはすり鉢が描いてあ
る。
画賛は「みそさざい」

鶯になりが
似たとて
みそさざい

白隠さんの寺 松蔭寺にはすり鉢の松があった、近年枯れてしまって残念な事をしました。
絵はすり鉢の中にすりこ木が在り、其処にミソサザイが留まっている。ミソサザイは鶯に似ているがカラダは小さく声も良くない、矢張りミソサザイはミソサザイに過ぎない、お坊さんと言うが形だけでミソサザイの様な坊さんもたくさん居る。食べる味噌もよくすれてないと美味しいくはならないものであります。ただ味噌する、ミソサザイで居て満足して居ないで鶯の声の様な説教をして貰いたいとは、ここで本物のの坊様になってくださいと言うあたり。白隠さんの絵説き。ミソサザイと味噌を掛けている当たり白隠さんの禅画の得意とするところである。其処に対句

恥じ多き年とおもえど
ながらへて
わだちの水にうつる月影と
いいおこしければ


            


  


禅画には富士山が描いてある。画賛は

おふじさん
霞の小袖
ぬがしやんせ
雪の
はだへが
見度ふ
こざんす

昔なら何とはなしに、新内流しか三味線か四畳半が出てしまった私だが此処にも白隠さんの世界が出てきたのかな?
いやいやそうはさせてはくれない。とんでもない、ここでは身ぐるみ捨て去って有りのままの素っ裸の姿で出掛けてこい。とは白隠さんも粋な事。霞の小袖は普段着のままで出ておいでと。先のお福団子を食いにお福のところに出て行く覚悟が無いと相手にはしてはもらえない。禅の団子は普段着で食べるものだから。そうでないと串ざしにされて仕舞いますぞ。来るなら
肩書などいらない、全部捨ててこいと。
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禅画と私どものところで見た今日の富士山
白いお肌を見せてました。
白隠の号は白雪に隠れる富士山に合わせて、原の町松蔭寺からは真正面に拝める


            




禅画には小槌の絵に画賛は

萬宝を打出すと
云ふ
いつわりよ
おごる
あたまを
ひしぐじやぞ

師走になりました。子供の頃正月打ち出の小槌を持った大黒さんの絵が床に飾ってありました。私はお参りして其処からお年玉を頂くのが楽しみでした。
大黒さんは小槌を持ってサンタさんの様な大きな袋を肩に米俵に乗っております、小槌を振るといろんな宝物が出てくる、これは目出度い事です、それで除夜に私はお参りした記憶があります。
小槌は宝物を何でも出してくれると思ったら大間違い、じつはこの小槌は私たちの慢心、おごる心を低くせよと言って、このあたまを叩くのがこれだ。と白隠さんは画賛に説かれている。自分をおごる心無く働けば宝物はそちらからやって来るものだ。何とこの小槌の絵がたくさんの衆生を仏にし、仏道に入らしめたことか。宝くじには御用心、人は急な幸運とか、金持に成った時に人はおごる心が出てるものだ。そこで脚下を看よ、この小槌が下ろされるべきはこんな時でありましょう。小槌が必要なのは、この時でありましょう。御用心、御用心。


            





禅画には鉄棒が力ずよく描かれている、画賛に

此わろを

恐るる人は極楽え
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私どもの寺には白隠さんの描かれた「夢達磨」の禅画がありますが、そこには亡者が鉄棒で責められている地獄の描かれている。
鉄棒は亡者を責める鉄棒。
「此わろ」は鉄棒の事で同時に地獄を言っております。地獄を恐れる人は極楽へ行く、地獄を恐れない人は地獄へ行く。地獄など迷信と怖がらない人は地獄へ行くのだぞ。
積善の人は極楽へ行く。
地獄を恐れる人は善を積もうと努力するから極楽へ行くと白隠さんは此処を明確に説かれている。この鉄棒は力ずよく一筆書きに描かれている。
勢いよく一気呵成に白隠禅師の禅定力生命力さえ感じさせます。芸術性を超えた力ずよさを心を超えた表現の深さをそこに感じさせます。白隠晩年ものの様ですが完成された力ずよさがあるのは何故だろうか。


            





蟹と払子

小足八足
大足二足
我見て如何

払子が云く
蟹ては
なひか

これは白隠さんが、私たちになぞなぞを仕掛けてきて描いた禅画ですが、白隠さんの六十を過ぎてからの絵でしょうか?
禅画の左に描かれた蟹が尋ねて言いました。
「小さな足が八足、大足二足、これな〜に」
それに答えて、払子が云うた。
「それは蟹ではないか」と
払子は禅僧が葬儀などの時導師が持ちますが、南方の僧はハエ叩きの様にしてました。
この禅画の云うている事は見たままを端的に答えて云うて居る。どう見たって蟹は蟹ではないか!全てを看たまま一切をありのままに捉える心が大切な事と描いている。人間何処かに捉われる心があると、真実が見えなくなってしまうものであります。モノに捉われると心の平静さを失う。平常心が大切でありましょう。
こうした事を禅語では
柳は緑、花は紅 また
山はこれ山 水はこれ水
一切をありのままに見る心、捉われ無い心、広く大切に育てよう。
白隠さんの教えです。
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蟹と払子の問答


            




蟹と蛙とが描いである禅画

蟹とのは
ゆくかもどるか
目かいぼか

かいるとの
居たか
立つたか
とに
いるか

私たちの住んでいる、何処の世界でも同じく騒がし世の中である。
同じ様に、この狭い蓮池も騒がし事には変わりがない。池の辺では、蟹と蛙が互いに悪口を言い合っている。「蟹よ、お前は、前に行くのか進んでいるか、果たして、後ずさりして、後へ戻っているのかい、その突き出ている奴は果たして、眼なのか?いぼなのかい。」
「蛙よ、お前だっていったい、その姿は座っているのか、立つて居るのか、それで何処に居るのかい」
この問答だって考えて見ると、私たちの人生の問答の様に思われる。蛙の立場からしたら、蟹の横歩きは、行くのか進んでいるか、さっぱり判断がしかねる、わからない。おまけにそれは目なのか、イボなのか、蛙には見分けがしかねでいる様だな。蛙は果たしてこの様に悪口を言って蟹を小馬鹿にして笑う、のである。
そうすると蟹も蛙をみてから、座っているか、立つて居るのか、いったいどうしているか、お前の格好は中途半端な格好ではないかと言い合い、争って、アザ笑いか返しいるが、ことわざに。「他人の降り見て我が振り直せ」の言葉の様に
人の世の中ではよくあることです。自分が相手を小馬鹿にすれば、相手だって小馬鹿にしているはずです。
逆に相手を尊敬すれば相手から尊敬されるはず。
思いやりも、思いやりをもって接すれば相手もきっと好意をもって接してくれるはずでしょう。 教訓として
「人の悪しきを必ず言うな、そしる心が悪じゃもの」と白隠さんは説いている。
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蟹と蛙


            





禅画には昔伊豆の国市長岡温泉場辺りに間間と云う所があったそうです。其処には絵に描いてある様な継ぎ橋がかかって居たのを白隠さんはこの継ぎ橋を題材にしてきた。

禅画の画賛には
「ままの継ぎ橋」の継ぎ橋
と題して

世をわたる
人のうへにも
かけて見よ
たれか心の
ままの
つぎはし

継ぎ橋は、川の中に何本かの柱をたてた、其処に何枚かの板を継いで渡した橋で、今では殆んど日本では皆無ですが、
世渡りをして行く人の上にも、一人一人に心の継ぎ橋を掛けたいものであります。
人と云うものは、どうしても、狭い自分の殻の中に閉じこもりがち、特に現代の人は、お互いに反発しあっているが、それは一体何故だろうか?
あまりにつまらないことに悩んだり、ひがみあったりが、知らず知らずにその醜さ中に生じて、それが住みにくい世の中にして行くのかもしれない。
世の中を渡って人の上にも、この継ぎ橋を掛けたいものであり、かけててあげたいものであります。
一人一人の心が通じ合えば、もっと世の中が住み安くなるにちがいないと、白隠さんは論してなさる。
白隠さんの著書の中に
「君看よ叟眼の色
語らざるは憂い無きに似たり」と
私の眼の色を、ジッと見てごらんなさい。私が何も言わないのは、私に憂いが無い様にあなたには見えるでしょうが、決して私の心の中など知る人などは一人としていないものなのです。と


            





達磨の夕涼み
禅画には達磨かおちばを敷いて、その落ち葉に座って坐禅をなさて居る絵が描いてある。

夏など、草の上に少しばかり打ち水をしたりして、涼をとって坐禅の疲れを癒すなどしてみてはいかがでしょうか。
今は早春 焚き火の残り灰ででも敷いて尻を温めて座ってみな! 少しばかり睡くなって気持ちがいいだろ。
しかし白隠さんはその賛に

「よしあしの
葉を
ひつ布ひて
夕涼み」

と書かれている。
よしもあしも同じ水辺に生えている植物の名前であるのに関西ではこれを「よし」といい、東京では「あし」と云う。白隠さんはここで「良し」と「悪し」と私らにかけてきた。
よくある事である、あんないい人はいないだろと誉められる人が、処変わるとあんな悪い人となってしまってけなさられる事などあるのではないかと。
人は誉められると気持ちがいいだろが、けなさられると腹が立つ。
それではその人は代わったのかといえば同じ人だ。
それでは一捻りして、どうもそれは人が動揺する処に問題があるのではないのかと考えなおして見ると
気が付いた、馬鹿と言われ様と利口と言われ様と少しも動揺し無い心。そのしっかりとした心を掴まないと、この達磨の様に呑気に夕涼みなどは出来ない。
嫌な事はみな尻に敷いて、達磨の様に夕涼みをしてみては
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よしあしを捨てて
起き上がり小法師


            


 


恵比寿が描かれている。
画賛に

昼る来とや
はて何がきて
よひ恵比寿

商人の町大阪は恵比寿の信仰が盛んでありますように
恵比寿は商売の神であります。昔から商人の家では一月九日の夜、宵恵比寿と云う祭りの信仰が盛んであります、習慣となって殘っています。白隠さん恵比寿のこの習慣を取り上げて「宵」と「良い」を上手に掛けている。それは昼るきても、朝きても良い。
よい恵比寿さん、機嫌がいい恵比寿さんなら、これは何も宵に限らない、こだわる事はない。
何時にきてもらっても、結構でありますようにしてある。どうですか?この恵比寿さんいい顔してござる。
どうだ、こんな顔がしたかったら、一度わしのところにやってきてはみないかな。そうすれば、お前さんの中にある邪な心を残らず取り除き、恵比寿さんの様ないい顔にしてやろうではないか。お前さんの中にある邪な気持ちを取り除かん事には、恵比寿さんの様ないい顔にはならないぞ、とは白隠さんの教えであります。雲門禅師の言葉に
「日日是好日」があります
人は吉日を好み、悪日を嫌いますが、吉日も悪日もその人の中にある、心のもち方であります。その時その時に囚われる心、煩わされる心が無ければ日日是好日なのです。随処に主となる


            




海老の画が描いてあります。画賛には

ひげながく
腰まがるまで
生き度は
食をひかへて
食をひかへよ

と書いてある。今日は私も含めて高齢者の社会であります。
海老の姿は年寄りがヒゲをのばし、腰を曲げて、杖をついている姿に似ているので描いたのでしょうが、今は手押し車が主流であります世の中。
白隠さんはこの海老の姿になるまで長生きしたければ、とにかく食を控えて、腹八分目が丁度いいと教えてくれるが、今の日本人には腹八分目はつうよするか? 如何でしょうか?
「食をひかへよ」のこの食は俗に云う「色欲」との語呂合わせを使って言ってるのか?いやいや 、色恋もほどほどにしろと云うのをとう回しに、こんな言い方をして居るのかその当たり、白隠さんの円熟期の作品の様にも伺える?
時たま、「ひとり寝をせよ」とある禅画のあるところを見ると、たまには一人を楽しむのも、また風流を味わうのも、又いいではなあか、とは一理あるかもしれませんナ!
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とにかくは目出度い話であります。


            





「寿」の一字
が書いてある。
賛は

長か生きは
よひね
朝をき
きれいずき
食を
ひかへて
しよくを
ひかへよ

長生きはいいものだと、それには、先ずは朝は早起き、身の廻りは清潔に食事は腹八分にして

これは例によって白隠さんの養生訓でしょうか。
幼少の頃は大変に病弱な子供でした。行者や仙人から養生のための術を習い、それを守り実行、実践して当時としては長生きの83歳の天寿を全うされた方でした。ただ長生きしたのではなく、最後まで利他行をし布教や社会事業にも積極的に参加され、掛かりつけの医者が白隠さんの3日後の死を診断出来なかった程、自分の健康管理をなさった方の養生のための健康法を書き示した禅画です。その意味で学ぶべき価値は十分にあるでしょう。

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後の「しよく」はここは食べ物ではなく、性欲色恋もほどほどにせよとの老婆心か。ここに大きく寿と書いてありますが、一字関といい、雲門の関と云う悟りの意味を意味する言葉でもあります。


            





 

 

 

 

 

 

 

 


東海道を歩いて原の松蔭寺に使いに通い、生家に母を尋たこの東海道を挟むようにして昔からの寺院が両脇に立ち並ぶ、間門、小諏訪、大諏訪、松長祥雲寺、そして大塚に入るともう原の宿である。そこにはお地蔵さんの清梵寺、白隠の径の長興寺の小道を西に進めば、もう松蔭寺に辿り着く。
この新白隠コースの散策道の提案はどうでしょうか?街道のスナップ写真
出発点沼津駅
旧東海道川廓
沼津浅間神社
大聖寺前幸町バス停
白隠最初の修業寺
大聖寺
白隠最初の師
息堂和尚墓碑
大聖寺歴代塔
旧和田家陣屋
隣寺 永明寺
少し寄り道して千本浜からの富士山
間門 金剛寺
街道沿い今沢祥雲寺
原のお地蔵さん
清梵寺
金毘羅さんの長興寺
白隠の径を行くと
もう松蔭寺
白隠さんの松蔭寺
約三里の行程 貴方一度試してみてください。